最終更新日 2002/05/31

Tanka

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奇数語

 

毎日詠み続けるってすごいことかもしれない。
お題を与えられて句を捻るというより、すでに条件反射のように日常語として飛び出して来る。
そんなに大変なことではなく、すでに慣れた母国語を話す時のようにごく自然に発話している。
つまり、短歌でお話している。
本当は歌なのだから、歌わなくてはならないとは思うのだけれど、あの譜面の欠如した歌はどうも歌として認めたくないというこだわりがあるから仕方が無い。
どーせだったらアップテンポで短歌を歌ってほしいものだけれど、なんかテンポとリズムがまったりのっさりしているから仕方が無い。
のんびりしてるよね・・・
句を味わうという感覚が欠如しているために、テンポが合わない。
それでもどんどん詠んでいるということは、5・7・5・7・7のリズムがやはり日本語には適しているのかもしれないとは思うけど。
奇数の世界だ。
考えてみたらヘンだな。
五線譜の偶数の世界に慣れてしまうと、奇数のリズムが字余りになってしまい、テンポが合わない。
それでいて、どこかそれは融合したトーンで自分の中では組み合わされているし、それでいてどこか独立しているのかもしれない。

短歌の本を買ってきて、添削の部分に目を通す。
なるほどと思うことが多い。
あたしの句も、もう一捻りすると洗練された句に変身するかもしれないけれど、問題は洗練されているかどーかよりも、短歌というのは発想の世界らしい。
発想が面白いかどーかがすべての世界。
だから続いているのかもしれないな。
発想が面白くなければ、句自体に面白さがない。
言葉は意味だ。
意味が同じであれば、それをもっと洗練された形にするのは簡単なのだ。
問題は、形よりも発想だ。
何かを感じた瞬間の発話だ。
だから、元来は捻り出して詠むものではなく、ふとした出来事などをふとした言葉に表しているだけに過ぎない。
だから、何も感じない人は何も浮かばない。

でも、洗練された言葉で表現するということもある種テクニックという部分で必要なのかもしれないと反省している。
全部を全部現代語で表現することも可能だ。
誰も悪いとは言わない。
にもかかわらず、何故かこの世界は専門用語と古語がまだ生きている。
旧い伝統に固執する気は毛頭無いけれども、それでも少しは基礎知識くらいは必要では無いかと反省している。
何が基礎なのかもわかっていない。
古語なんて、高校生の頃に少しやった程度。
英語のほうが簡単だと思った。
干渉刺激が少ない分、覚えればいいだけ。
古語はダメだ。
語句が似ているから混乱しやすいし、覚えたからといってそれが何かの役に立つという発想がまったく欠如していたために必要最小限度の知識しかない。
それでも、大昔うろ覚えに覚えていることが、何となく語句のニュアンスとして使えるというところが不思議。
そこが母国語の値打ちなのかもしれないな。

しかしですね・・・・あーいう言葉でお話していた時代があり、お話していた人たちがいたということは、やはりそれでお話できるということなんですね・・・
何となく、そーいうことを実感している今日この頃・・・・
それだけでも、詠んでる値打ちがあるのかもしれない。
順応だ。
すでに1年。
これに順応してしまっている。
死んだ神経細胞は蘇らなくても、残ったニューロンが新しく結合することはまだ可能なのかもしれない。
ちょっとは勉強しよ。

(『屁理屈にっき』 2002/02/12より)

 

 

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